「私は悪くない」と思いたくなるとき

本日もご覧いただきありがとうございます。

今日は、物事がうまく進まないときに、ふっと浮かぶ「だって、あの人が・・」という気持ちについて、書いてみようと思います。

こんな言葉、浮かびませんか

・「先輩の言うとおりにしたのに、怒られた。だから、私は悪くない」

・「言わなくても、察してほしい。何年一緒にいるの」

・「専門家の言うことだから、そのまま信じた。自分で調べなかったのは悪かったけれど・・」

こんな言葉が、頭の中に浮かんだことはありませんか。

心が、自分を守ろうとしているとき

こんなふうに、誰かのせいにしたくなるのは、心が傷つかないように、自分を守ろうとしているからかもしれません。このような心の働きを「防衛機制」と呼ぶことがあります。人それぞれ、よく使うパターンがあるとも言われています。

たとえば、一つ目の言葉。うまくいかなかったとき、原因を自分の外に置くことで、自分の評価を守ろうとする傾向があると言われています。「先輩の言うとおりにした」のに怒られたとなれば、「私は悪くない」と思いたくなるのも、自然なことです。

二つ目の言葉。自分の気持ちや考えは、相手にも伝わっているはずだ、と思いやすいことも、知られています。長く一緒にいる相手ほど、「言わなくてもわかるはず」と思ってしまう。実は、思っているほど、相手には伝わっていないのかもしれません。

三つ目の言葉は、合理化と呼ばれるものです。わかりやすく言えば、「自分を納得させるための理由づけ」です。自分にも責任があるとわかっているからこそ、「でも」と続けたくなる。そこには、ご自身を責めたくない気持ちがあるのかもしれません。

どれも、弱さでも、性格が悪いからでもありません。誰の心にも、起こりうることだと思います。

これまでの経験から

「先輩の指示どおりにやったのに」というお話を、よく聴かせていただくことがあります。

お話を伺っていくと、確かに、指示した側の伝え方に足りないところがあった。そして同時に、確認が足りなかったことから起きたミスでもあった。どちらかだけが悪い、という話では、ないことも多いのです。

私は、長い間、医療・介護現場で仕事をしてきました。そこでは、「私のせいじゃない」で終わらせることが、できません。どんなに小さなことでも、同じことが起きれば、誰かの命に関わるかもしれないからです。

もちろん、そんな私にも、「私のせいじゃない」と、一瞬頭をよぎることはありました。ただ、そのたびに、「あ、今、そう思ったな」と、自分の考えを一歩引いて眺めるようにしていました。そして、「なぜ、このようなことが起きたのか」に、視点を切り替えます。

自分の考えを、一歩引いて眺めることを、メタ認知と呼ぶことがあります。

誰のせいかを探すのではなく、何が、どこで、どうして起きたのかを見る。そうすると、「次は、どうしたらいいか」が、見えてくることがあります。

ひとつ、立ち止まってみる

もし、「私は悪くない」と思いたくなったときは、次のようなことを、試してみてはいかがでしょう。

・「誰のせいか」ではなく、「何が起きたのか」を、見てみる

・自分の分と、相手の分を、分けて考えてみる(全部自分でも、全部相手でも、ないことが多いかもしれません)

・「次は、どうしたらいいか」に、視点を移してみる

そのとき、「私の分」が見つかっても、それは、責められることではありません。「次に活かせるもの」が、見つかったということなのだと思います。

ただし、ここでお話ししているのは、日常のちょっとしたすれ違いや、うまくいかなかったときのことです。今、相手の言動によって、つらい思いをされている場合は、あなたのせいではありません。

あなたのペースで

「私は悪くない」と思いたくなるのは、それだけ、一生懸命やってきたからなのかもしれません。

そんな自分を責めなくていいと思います。そして、少しだけ余裕があるときに、「なぜ、起きたのだろう」と、そっと眺めてみる。それで、十分ではないかなと私は思います。

あなたのペースで、少しずつ。

今日も、あなたの一歩にそっと寄り添えたなら嬉しいです。

投稿者プロフィール

畠 由架利
畠 由架利くれたけ心理相談室(札幌支部)心理カウンセラー
お立ち寄りいただきありがとうございます。

「こころのリスタート便り」には、
あなたらしさを育み、自分らしい人生をもう一度歩き始める。
そんな願いを込めて更新しております。

少し立ち止まりたくなったとき,
ふらりと立ち寄れる場所になれるといいなと思っております。

あなたの今日が、昨日より少し軽やかになりますように。

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