身も心もあたたまるお鍋と、ちょっとした背徳感のはなし

本日もご覧いただきありがとうございます。

札幌は、朝晩の冷え込みがぐっと厳しくなり、あたたかいものが恋しい季節になりました。皆さんは、どのようにお過ごしでしょうか。
今回は、くれたけ心理相談室からの「身も心もあたたまるもの」というお題で、書いてみようと思います。

私の「あたたまるもの」は、お鍋

「身も心もあたたまるもの」と聞いて、私が真っ先に思い浮かんだのは、お鍋でした。
寒い中、帰宅して、ぐつぐつと煮える音を聞く。湯気の向こうで、野菜やお肉が柔らかくなっていく。それを食べると、体の芯からあたたまってくるように感じて、思わず「ああ、幸せだな」と、ほっとした気持ちになります。

今は、いろいろな種類の鍋の「素」がありますよね。私が好きなのは、豆乳鍋と、トマトチーズ鍋です。やさしい味と、少しこってりした味。どちらも、寒い日の楽しみのひとつです。

「背徳感を感じながら食べる鍋」?

今回のブログのお題のことを考えていたとき、ちょうど、テレビ番組で、鍋の「素」の話題が流れていました。その中で、「背徳感を感じながら食べる鍋」という言葉が耳に入ってきました。

「ん? 背徳感を感じながら食べる鍋って、どういうこと?」
そう思うのと同時に、「背徳感」という言葉を、自分があまり使わないことにも、気がつきました。

背徳感とは、いけないとわかっていながら、ちょっぴり後ろめたい気持ちのことです。もともとは、「道徳にそむくこと」という意味の言葉ですが、最近は、食べ物のことでも、「いけないとわかっているけれど、やめられない」という、少し楽しい気持ちを表すのに使われているようです。

背徳感の裏側にあるもの

では、鍋のどこに、背徳感があるのでしょうか。
考えてみると、こってりしたチーズや、味の濃い「素」で、ついたくさん食べてしまう。そこに、「ちょっと食べすぎかな」という、後ろめたさを感じるのかもしれません。

私は、健康に気をつけているつもりで、普段は、「健康のことを考えるなら、食べすぎ・飲みすぎはよくない」と、自分を律しています。でも、本当は、「好きなものは、好きなだけ、気にせずおいしく食べたい」と思うのです。だからこそ、「たまには羽目を外して、好きなことをしてもいいよね」と思ったとき、ちょっとした背徳感を感じるのだと、気づきました。

背徳感の裏側には、普段、抑えている気持ちや、自分に課しているルールが、隠れていることもあるのだなと、今回の鍋の話から、このような事を感じました。

マイルールを、少しだけゆるめてみる

自分にルールを課すことは、悪いことではないと思います。ご自身のこれまでの人生の中で、ご自身を守ってきたものかもしれません。
ただ、そのルールを、ずっと守り続けていると、少し苦しくなることもあるかもしれません。

「たまには、いいよね」と、いつものマイルールから少し外れてみる、その時間があることで、解放感やちょっとした楽しみを感じる、そんなこともあるのではないでしょうか。
もし、「これは背徳感だな」と感じることがあったら、「私は、普段、何を我慢しているのかな」と、ちょっと眺めてみるのもいいのかもしれません。

あなたの「身も心もあたたまるもの」は

お鍋のほかにも、熱いお風呂、お気に入りの毛布、あたたかい飲み物、好きな人との会話など、人によって、いろいろあると思います。
寒い季節、ご自身にとっての「あたたまるもの」をぜひ教えてください。

今日も、あなたの一歩にそっと寄り添えたなら嬉しいです。

投稿者プロフィール

畠 由架利
畠 由架利くれたけ心理相談室(札幌支部)心理カウンセラー
お立ち寄りいただきありがとうございます。

「こころのリスタート便り」には、
あなたらしさを育み、自分らしい人生をもう一度歩き始める。
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あなたの今日が、昨日より少し軽やかになりますように。

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